2020年08月24日

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第1875例会

 

 

リーガロイヤルホテル広島

会員卓話
「私とロータリー」

蓋 寿朗君

 

 

 

 

 私が広島大学医学部学生時代を過ごしたのは 、広島県庁が南区霞町から現在地へ移った後の、(今被爆建物保存で問題になっているのと同じ)レンガ造りの建物でした。学生時代は、広島中央ロータリークラブの田原先生が1年上、杉本先生が1年下の関係でしたが、ロータリーでは、お二方は私よりずっと先輩の関係でした。

 私の紹介者の柚木宏先生は、私の学生時代は第1内科の助教授でしたが、私は学生時代に柚木先生に大変お世話になったことがあり、マツダ病院長時代に中央ロータリーに入会を勧められたとき断ることはできませんでした。

 

 私は昭和39年に北九州の九州厚生年金病院でインターンをしましたが、丁度この年は前回の東京オリンピックの年であり、当時の東京都知事は東竜太郎氏でしたが、この病院の病院長は知事の弟の東陽一先生でした。アベベのマラソンをテレビで見ようと医局に行ったとき、「手術を手伝え」と言われてマラソンを見られなかったのも覚えています。私は、この時に、自動車の免許を取りましたが、記念に皆でドライブに行こうということになり、オリンピック閉会式の日に別府へ向かう途中車の中で、当時の池田勇人首相が退職しました、と聞き、次の日やまなみハイウエーを走っているとき、佐藤栄作が新首相になったと聞いたのを覚えています。その時の友達の一人が後に福岡県医師会長、日本医師会の副会長になりました。

 その後、国立呉病院、大学病院の勤務を経て、平成元年からマツダ病院に勤務しましたが、私は平成6年にマツダ病院長に指名されました。当時マツダは、社長がフォードか来た外国人の時代で、特に、最初の社長のウオレスさんには、家族ともども親しくしてもらい、デトロイトのフォード病院も紹介してもらい訪問しました。
 その時行ったフォード博物館には、フォードの自動車とエジソンの発明品が一緒に展示されていましたが、そこに展示されていたケネディ大統領が射殺されたとき乗っていた車は記憶に残っています。
 マツダ病院では、マツダの派遣社員が外地で病気になったとき、医師が迎えに行きましたが、私はフランクフルトから2回、ロサンゼルスから1回、それぞれの街を救急車で走り、空港内を飛行機の直下まで行って飛行機に乗せ、患者さんを搬送した経験があります。
 それとは別に、当時マツダ病院には、年2回、マツダの社員と組合員、病院の3者で、世界各地を巡回しその地で派遣社員の生活環境を調査することが恒例で、私もアフリカのジンバブエ、南米のコロンビア、UAEのドバイ、中国の北京、海南島などを巡回した経験があります。その中でも、コロンビアに行く時、マイアミに寄りましたが、そこでキーウエストに行ってみないかといわれ、セブンマイルブリッジを渡って、アメリカ最南端の地で、ヘミングウェイの家を訪れたのは忘れられない思い出です。
 南米コロンビアの首都サンタフェドボコタは2400Mの高地にあり、そこで私はエイズの患者を始めてみました。
 私は7年間RCCラジオの一言知宣の千客万来という番組にでましたが、その後、そのことが中国新聞の「知っていますか 医学の常識」という欄にも連載され、それをまとめて、「知っていますか 医学の常識」 と題する本にして2000年に出版しました。
 当時、マツダは経営難の時代であり、病院も経営に苦労しましたが、私は当時流行していた GEのCEOのジャック ウエルチさんが提唱されたシックスシグマという経営法を学び、9.11のあった翌年の2002年にニューヨークのGEの研修所へ行き、シックスシグマの実際を学びました。それを本にしたのが、「強い現場を作る問題解決型病院経営」という本です。これにより、当時マツダ病院は、広島では最も早く電子カルテを導入しましたし、DPCも広島では最も早く取り入れ、県病院、市民病院からも勉強に来られました。
 私は、広島都市学園大学が古澤学園として、広島市立大学の近くにあった時から、講師をさせていただいていましたが、そこで学生に講義した内容を本にしたのが、「脳のメアニズムを知れば学習効果が上がる」という本です。
 そのような環境の中で、柚木先生の推薦で、広島中央ロータリークラブに入会させていただきましたが、入会当時は、会員同士で釣りに行ったり、別荘で夏を楽しんだりとても楽しい環境でした。
 クラブでの同好会としては、ロンガルス絵画同好会がありますが、わたしはロータリーに入って上原先生に絵を習い始めました。ロンガルスという名前は、元会員であった生田義和先生が付けられたもので、ラテン語のArs longa, vita brevis芸術は長く、生命は短い に由来します。Ars longaを逆にロンガルスと読んだのです。
 同好会で描いた絵は、いろいろな会報の表紙絵に採用されました。
 囲碁同好会にも所属していますが、同好会は正弁丹吾で隔月開催され、囲碁会の後は飲食を楽しんでいます。
 昨年は、市谷の日本棋院で開催された全国ロータリー囲碁大会にも杉本会員、通谷会員と参加しました。大会の前日は、かの三島由紀夫が自決の前日食事をしたという店で、彼が食べたという鳥の水鍋を、女優の波瑠さんそっくりさんに相手してもらいながら、楽しみました。大会では、私は3-4段の部で準優勝でした。
 マツダ病院退職後は、千代田中央病院で勤務しましたが、千代田は花田植えが有名で、花田植えの時、広島中央ロータリークラブは神保さんの馬場の職場訪問をしました。また、千代田では、少し寄付をして石見街道の記念碑に名前を刻んでもらい、千代田で採れた榧の樹で作った碁盤を貴方が持っていてくれと言われてもらいました。その時、千代田に榧の樹が何本残っているのか聞いたところ、お寺の庭に一本あるだけだと知りました。当時、ロータリーで植樹運動をしていたので、友達と榧の種を集めて、庭に撒き、生えた若木を一本もらって、今、わが家で育てています。
 下手ですがゴルフ同好会にも所属し楽しんでいます。
 美術同好会では、各地を旅行して楽しんでいますが、ロンドン・パリの旅では、大英博物館、ルーブル美術館の旅が思い出の深い旅でした。
 クラブの夏と冬の家族会も楽しんでいます。
 カープ観戦家族会も毎年楽しみです。
 大阪で開催された国際ロータリー大会では、女優の司葉子さんに出会ったのは思い出です。
 台中市西区ロータリークラブとの交流も楽しみです。
 前回、台中市西区ロータリークラブを訪問した時には、吉川惠会員と一緒に、高雄を案内してもらいました。
 2009-2010年は会長に指名され、会長賞をいただきました。
 広島北ロータリークラブ、西条ロータリークラブ、広島東南ロータリークラブ、などで卓和をさせていただきました。クラブによっていろいろスタイルがあることを知りました。
 田原先生がガバナーをされた年度は、随行幹事としていくつかのクラブを訪問したこと、地区大会では小雪さんが思い出に残っています。
 2017-18年度は、G67のガバナー補佐をさせていただきましたが、この年に、広島中央ローターアクトクラブが創立されました。
 ガバナー補佐年度のIMは当クラブの担当で開催され、元中国大使の丹羽宇一郎さん、そして、今、コロナで大忙しの尾身茂さんに講師をしていただきました。
 献血。マイカー乗るマーデー運動も若者との交流もあり楽しい運動です。
 前年度、奉仕プロジェクトの理事を担当しましたが、コロナの拡張で厳しい環境の中、広島県に防護服を寄贈しました。
 ロータリーの会員として大切なことは、皆様いろいろあるとは思いますが、私はそれぞれの健康を守ることと、四つのテストに書かれている信条を忘れないことが大切だと思います。

 

 

 



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