2019年08月19日

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第1845例会

 

 

場所:リーガロイヤルホテル広島

故前原恒泰会員の追悼例会

 

 

 

 

【福田会長挨拶】

 

  はじめに、前原様の、ロータリー歴をご紹介させていただきます。前原様は、平成13年10月、ご入会されました。2004−05年度、プログラム委員会委員長を務められた後、2005−06年度以降は、環境保全委員会委員長、地域発展環境保全委員会委員長、人間尊重・社会奉仕委員会委員長、職業奉仕委員会委員長などを歴任され、また、2010−11年度、2011−12年度、そして2016−2017年度の、三度にわたり、奉仕プロジェクト委員会理事を歴任されるなど私たちのクラブの奉仕活動の礎を築かれました。ポールハリスフェローを受賞されています。
  私は、入会して10年余りとなりますが、入会当初から、前原様から、ロータリー、とりわけ奉仕活動について、たくさんのことをご指導いただきました。いつもは優しく、ときには厳しく、しかし、厳しいときでも、目の奥には優しさをたたえてご指導いただきました。このたびは、突然のことで、未だに信じられない気持ちでいっぱいです。今でも、いつもエネルギッシュで、いつも前向きなお姿が目に浮かびます。前原様のことですから、きっと、クラブのこと、そして私たちのことを、しっかりやれよと、見守っていただけることと思います。ご指導いただいたことを糧に、しっかりやりますので、どうぞ、安心して、安らかにお眠りください。

「前原さんとの思い出」
嶋本 文雄 君

 

 前原さんは、RCに入会され20年近くなり、入院以外例会に連続出席され、多くの奉仕活動を自ら作られ、多くの人を育てられました。本クラブの奉仕活動の基盤を作られた方なので、わたくしが話をするまででもないいのですが、今日は、前原さんから頼まれていたことを、ひとこと最後にお話しさせていただきます。
 その前に10数年前RCに入った私が、前原さんと話をするようになったのは、以前働いていた県大学との関連でした。車いすで通勤しなければいけない福祉専門の教授が、県大学へ赴任され、その当時は広島では障害者の方にとって公共の交通機関の配慮が十分でなく、前原さんが当時勤務されていた会社といろいろ交渉をされ、改善してもらわれたのですが、県大にはその交渉で大変苦労したですよと話され、私も当時県大の3キャンパスの職員組合の執行委員長をしばらくしていて、その福祉の先生とも親しくしていたので、話が盛り上がったことが最初でした。
 前原さんは、この10年間で3回奉仕プロジェクトの理事を担当されました。推薦者高重さんから社会奉仕活動の意義を学び、それ以来いろんな奉仕活動に積極的に取り組んでこられました。いつも年に数回,人間尊重・社会奉仕、青少年奉仕、職業奉仕、国際奉仕委員会のすべての担当委員をひとまとめに集められて、CO2削減ノルマ―デーと献血支援活動、地区補助金による広島市や広島県広島特別支援学校へ活動等の計画準備を、市の職員のみが使用する会議室で時には元部下であった課長さんにも参加してもらい会議やそのあとの懇親会を開いていました。前原さんは、この奉仕活動の目的は、「命の重みの大切さ」の学習で、みんなんでいっしょに活動に参加すれば、実感できるという感じでした。また理事をやめられてもこのクラブの社会奉仕の行事には、前原さん自身が多くのスケジュール―、さらに司会者の原稿まで作成されて、いろんな細かな点も指導していただきました。
 退職されても市役所さらに県庁へいっても、前原さんが育てられた職員の方が多くおられたことは、献血支援、マイカーノルマ―デー運動活動によるCO2削減支援、地区補助金による支援活動には、たいへん奉仕活動がしやすい、さらに運動に協力してくれる大学生への事前学習会での市の職員の講演はロータリアン、学生にとって大変説得力のあるもので、たいへんお世話になりました。
 さらにこの数年間病気と闘いながら、病棟からも我々奉仕活動にいろんな活動の支援や原稿をかいてもらわれていた奉仕プロジェクトの理事さんもおられました。
 5月中旬にかなり元気になられ退院され、みんなで旅行でも行こうということになっていました。しかしその時気温が上がった時期と重なり、体調を崩されまた入院されました。今に思うとCO2削減に取り組んでいる中央RCには大変皮肉的なことのように思われました。6月初めに面会に行った時の話も献血、マイカー乗るマーデーで支援がどうだったとか、自分の体のことよりもクラブのことを大変気にしておられました。少しでも長く生き、一緒に活動を使用しよう。本当に最後まで、RCの奉仕活動が、前原さんの心臓を動かしていたような気がします。特別支援学校での生徒さんたちが生き生きとロータリアンと交流してくれるのも奉仕活動の楽しみにとも考えられていました。大変残念です。
 ようやく今は奥様のもとでいっしょになられ、ゆっくりされていると思いますが、ロータリアンとしてよりは、人間としてすばらしい人だったと思います。
 最後に前原さんから頼まれたことは、「大変お世話になりました。有難うございます。さらに中央ロータリークラブを立派なものにしてください。」との皆様へ伝言がありました。よろしくおねがいいたします。
 なお今日出席していただきましたご家族の娘さんには、奥様がお亡くなりになりいつも感謝をしておられました。サヤちゃん、ユウタ君、君たちのおじいちゃんは、世界一りっぱなおじいちゃんでしたよ。
謹んでご冥福をお祈りもうしあげます。

 

  

 

 

「故前原恒泰会員を偲んで」
吉川 惠 君

 

 10年間私は前原さんとロータリーの奉仕活動を通してとても親しく交わらせていただきました。ままだまだ一緒に活動をするつもりでいました。老後もことあるごとに親しくさせていただくことを楽しみにしておりました。前原さんによってとても楽しく意義あるロータリーライフを過ごさせていただいたと感謝しています。

 先日のお盆に二人の孫を連れて前原さんの生家へ墓参りに行きました。家につくなり孫たちは庭にある山水の水槽へ足をつけるやら家じゅうを走り回るやら、仏壇の灰をひっくり返すやら大変でしたが、温かく迎えていただきました。
その時お聞きした前原さんの幼少期のこと。前原さんは幼少期、パワーが有り余って自分でもそのパワーを抑えきれなくなると、裏の森に入り木の葉に顔を埋めて気を静めていたとのこと。幼少期からパワーがあふれた人でしたね。

 5月になって最後の話をしたいと電話がありました。病院を訪れると笑顔で迎えてくださり、「お世話になりました。長い間ありがとう。」と言われました。その後はロータリーの活動の日頃の会話に戻りました。お互いにありがとうございましたと握手をしてお別れしました。前原さんはその時奥様のところへ行かれる覚悟を決めておられました。私なりに考えると、次の世には奥様が先に行って待っておられる。奥様との再会を待ちわびてもおられたように思います。戸惑っている私よりもご本人のほうがとても穏やかであったことが心に残っています。覚悟の旅立ちであったと思います。

 ロータリクラブへ入会しなかったらお会いすることはなかった前原さん。入会まもない10年前、人間尊重社会奉仕委員長を拝命し、前原さんを認識することとなりました。それ以降、奉仕活動は常にご一緒に活動させていただきました。
エコドリーム運動のアンケート用紙の作成を広島市都市交通部と詰めていくことを手始めに広島市の担当部署と打ち合わせを行ってきました。
 広島市と担当部署へ行き、先方の職員が「どなたでしょうか」と問われると、「前原です」とだけ言われます。しばらくすると、奥から部長様が小走りに出てこられる光景をよく見ました。「広島中央ロータリーの前原です」くらいは言ってほしいなと思いましたが、部長の方はとても親しそうに話され、親交の深さをうかがえることが多かったように思います。「よく出世したな。私もうれしいよ」などやさしい声をかけておられました。

 前原さんは、これら奉仕活動がスムーズに進むことの段取りを絶えず大切にしておられ、そばで見させていただき、学ばせていただきました。私の場合何事も段取りなどが苦手で、気持ちだけで押してゆくことが多いのですが、手順を追ってたくさんの準備や段取りをいつの間にか行ってくださっていました。それらの奉仕活動は皆様がよくご存じのようにとてもうまく進んでゆきました。
前原さんの奉仕活動の理念テーマは「命の重み」でした。奉仕活動の中に絶えずこのテーマが出てきていました。

 以下、前原様の40周年記念誌の「会員からのひと言」

 入会2001年7月に高石・緒方両会員の推薦を得て入会しました。入会歴19年となり感慨深いものがあります。故高重会員から、社会奉仕活動の意義を学び、以来活動の殆どを社会奉仕活動に従事して、マイカー乗るまぁデー・献血支援活動をはじめエコドリーム運動、地区補助金での支援活動に携わってきました。その間、素晴らしい会員に恵まれて一つの節目の支援活動ができ、広島中央ロータリーの支援活動の歴史が整い、今後はローターアクトクラブの一層の充実、平和都市広島として、国際奉仕活動に向けてグローバル補助金を獲得して広島中央ロータリーの素晴らしい支援活動を夢見て頑張りたいものです。

 前原さんの強い奉仕絵の意志があふれ出たメッセージと思います。

 

 

 

 



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