2018年10月15日

 >> 一覧へ

第1810例会

 

 

場所:リーガロイヤルホテル広島

ゲスト卓話
「死を思うしかない人にとってどんなことが支えとなるのか?
〜 Sottoの活動を通して 〜 」

 

 

 

 

ひろしまSOTTO代表 武田慶之 様

 

 私の本業は住職ですが、京都で七年前に立ち上げられた、「NPO法人京都自死・自殺相談センター」というポランティア団体の立ち上げメンバーのひとりです。どのような活動をしているかは、その名称から理解できると思いますが、電話相談、メール相談、居場所づくり、発信事業など、さまざまな活動をしています。私は現在、理事を務めつつ、メール相談に従事しています。その団体の愛称が「Sotto」と言いまして、「そっとそばにいる」という意味です。三年ほど前に広島支部ができて、「ひろしまSotto」という名称のもと、「居場所づくり」をしていて、私は代表を務めています。
 さて唐突でしょうが、ひとつの問いかけをさせてください。「生きたくてもいきられない人がいるのに、自殺なんてするべきではない」という言葉を聞いて、どう思われるでしょうか?じつは数年前に、インターネット上で希死念慮者が訪れる、とあるサイトで管理人が「こんな言葉を聞いてどう思うか」という質問をしていたのです。とても印象に残っているので紹介するのですが、それに対するコメントはこんな内容でした。「生きたいと思えることがうらやましい」「その人はその人、私は私。だから何とも思わない」「その人にはもちろん生きてほしいけど、私のことを見てほしい」といったものでした。
 世間には「生きなければいけない」という価値観があります。それはもちろん否定はしませんが、「生きたくない」「死にたい」という気持ちで生きている人はたくさんいます。私たちはどんな気持ちであっても、決して否定せずにそのままに受けとるという姿勢で向きあっています。人というのは、ありのままの自分を認めてくれる人に出あうことで、その苦しみが少し楽になることがあると思います。「死にたい」という気持ちもそれを否定されたら、ますます孤立していきます。しかし誰かにわかってもらえたらば、死にたい気持ちが消えてなくなるようなことがないとしても、そのしんどい気持ちが少し楽になるだろうと思います。
 現代社会では「自殺を防ぐ」と姿勢が主流なのかもしれませんが、それは「死にたい思い」を否定していることになります。私たちは「その人のことを受け入れて、大切に思う」というスタンスで向きあっています。死にたい思いを抱えた方を目の前にして、その行動を何とか説得して防ぎたいという思いもわからなくはありませんが、それが逆効果になることもあります。死にたいほどの苦悩は、そんなに簡単に変わりません。まずは「わかろうとしている」という思いを伝えたいと思っています。死にたい思いに付き合うことは楽ではありません。でもそんな活動をしています。

 

 

 



■ リンク

■ お問い合わせ

■ サイトマップ

■ Privacy Policy

© Hiroshima Center Rotary Club All rights reserved.