2018年08月27日

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第1806例会

 

 

場所:リーガロイヤルホテル広島

新会員卓話「自己紹介」

 

 

 

 

政岡誠二 君

 


 皆さん、こんにちは。
私は今年5月に戸田会員、鳥井会員のご推薦を賜り、広島中央ロータリークラブに入会させていただきました松井印刷株式会社の政岡誠二と申します。
 本日は貴重な例会の時間を頂戴し、自己紹介をさせていただきまして、まことに有難うございます。改めて自分の人生を振り返り、自分自身を見つめ直すきっかけになりました。
それでは、私自身の事と家族、そして会社の紹介をさせていただきます。

 さて、皆さん、ご存知だとは思いますが、前任者の松井竜宣からの引継ぎで入会させていただいております。松井印刷では専務取締役の役を頂いておりますが、他には営業、工務、配送まで1人数役をこなしており、日々、忙しくさせてもらっております。

 私の生い立ちですが、1977年5月1日に広島市内で生まれました。今年で41歳になります。当ロータリークラブでは最年少だとお聞きしております。若輩ものですが、皆様、どうぞ宜しくお願いいたします。
 話しを戻しますが、5月1日生まれですが、一説によると4月末に生まれ、語呂が良いので5月1日にしたという話しを聞きました。冗談なのかどうかは分かりませんが。それはそうと来年の5月1日は現皇太子様が新天皇に即位されることにより祝日で調整しているとの話しです。私とすれば嬉しい限りですが、印刷業界とすれば、祝日や元号とかが未確定なので、ギリギリまで調整が必要となる案件もあります。主に領収書や納品書等の帳票関係がまさにそうです。その際には、松井印刷へお声を掛けていただけたらと思います。宜しくお願い致します。
 さて、私の両親ですが、物心付く前には、すぐに離婚したようです。母親に引き取られ、3歳ぐらいまでの記憶で、辛うじてあるのは母子寮とそのすぐ横にあった保育園での行き来した生活ぐらいです。そして、小学校に就学する前に再婚しましたが、小学校2年生頃には大人の都合により、また離婚しました。それから数年間、世の中はバブル時代だというのに、とにかく他の学友との格差を感じて生活した記憶があります。ようするに底辺な生活をしておりました。ただ母には体調を崩しながらも働いている姿を見ていましたので、今となっては感謝をしております。そして、中学校に上がる前にまた再婚をしました。おかげで広島市内ですが、住む場所を転々としました。
 ちなみにですが、離婚・再婚と繰り返しておりますが、全て同じ男女間の話しです。今となっては、こういう愛のカタチがあってもいいかと、笑い話といいますか、いや苦笑いしかないです。
 話が戻りますが、環境により息子が性悪にならないようにと思ったのか、母は私を近所の剣道の道場に通わせました。8歳から18歳ぐらいまではその道場に所属をしておりました。中学の時は剣道部で部長も務め、とにかく部活と道場で剣道三昧でした。かなりの練習量だったので県大会優勝、とか言いたいのですが、残念ながら賞には全く縁がありませんでした。幼少から剣道をしていたせいか、歩く時に、いまだに摺り足になる時があり、たまに妻から指摘をうけます。
 また高校からは部活での剣道はしませんでしたが、たまに道場でチビッ子達を教えていました。

 高校は広島市佐伯区にある美鈴が丘高校に進学しました。入学当時は開校7年目でして、公立高校にしては、比較的新しい学校でした。高校時代は姉の影響もあり、ただもてたい一心で、友人達とバンドを組んで、学園際に出るという野望がありました。実際に出ました。結果、女性にもてませんでしたが、男性にはもてた記憶があります。
 聴く世代ではないのですが、その当時はビートルズやローリングストーンズなどオールディーズ系ロックをよく聴いておりました。そして、よく地元の音楽スタジオに集まって、友人とワイワイするのが部活みたいなものでした。ちなみにその音楽スタジオは4畳半の一室のみで、当時今の自分ぐらいの年齢の自称ジャズピアニストの方が独りで経営していたお店でした。
 高校卒業後は、古澤会長の古沢学園に進学しました。直接の先生・生徒ではありませんでしたが、当時お見かけした記憶があります。まさか今同じロータリークラブに所属するとは夢にも思いませんでした。その後、縁があって松井印刷へ入社しました。
 家族のことを話します。
妻とは10年前に知り合い、そして結婚して5年目になります。年齢は8つほど下ですが、今は姐さん女房的な貫禄があります。価値観はよく似ていて、今のところ、夫婦仲は円満だと思います。
 妻は医療従事者として働いておりますが、私と業界は違いますが、仕事に対してのプロフェッショナルな姿勢に共感できるところがあり、彼女の仕事に対して尊敬・尊重をしております。ただ子育てに対して頼れる人がいないので、仕事と子育ての両立の難しさを現在痛感しております。とにかく互いの協力が必要なので、行き詰った時は徹底した話し合いで物事を決めています。
 1歳と4歳の娘二人がいます。平日は、ほぼ一緒に過ごすことができませんが、保育園へは私が毎朝連れて行っております。その時間が唯一のコミュニケーションの時間でして、昨日の出来事を聞いたり、一緒に歌を歌ったりとしてます。そのわずかな時間の中の、子ども達の言動だけでも、成長をとても感じる事ができ、嬉しく思い、いつも元気をもらって会社へ行っております。
また子ども達には、「愛してるよ」とちゃんと言葉にして伝えるようにしています。(それを聞いた妻が嫉妬をします。私にも言えと・・・)

松井印刷の入社当時のお話です。
 入社してしばらくは現場の仕事を主にしておりました。
 その当時の職人はとにかく気性が荒く、見て覚えろ!が当たり前の慣習でしたので、とにかく現場の職人には怒られ、しごかれたのを憶えております。また、その当時は配送業務もほぼ1人でしておりました。当時はエレベーターがないビルの得意先が多く、階段を何往復も駆け上がって商品を運んでおりました。終わった後、足の振るえがしばらく続く中、休むこともなく次の配送へ向かいましたが、配送用のトラックがミッションだった為、エンストしながら運転したのを懐かしく思います。
 当時を振り返れば、毎日が精神的・肉体的に疲弊しておりましたが、そのおかげで一人前の社会人に成長するきっかけなったと思います。今となっては良い経験です。

 これから、少し松井印刷の事について、お話しをさせていただきます。
 松井印刷は最新の印刷機械・デジタル機械、いろいろと幅広くありますが、
 その中でも面白い?珍しい印刷の機械を紹介します。
 活版印刷機です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、活字を組んで印刷する昔の機械です。また、この機械は「プラテン」というドイツのハイデルベルグというメーカーから製造されていて、車で言いますとベンツのようなブランド力がある機械です。約50年前に製造されている骨董品とも呼べる印刷機械です。松井印刷では、この機械を扱える数少ない若い職人がおります。主に一風変った珍しい名刺やハガキを印刷しております。
 活版印刷を改めて説明します。
 現代の主流の印刷方法はオフセット印刷やオンデマンド印刷という光や科学反応を利用している印刷がほとんどです(これが全てではありません)。
 年々、印刷技術や生産性は向上しています。また家庭用プリンターの普及やデジタル印刷のめまぐるしい進化により、印刷をするということが身近に、そして手軽にと、変化しています。それらに比べると生産性に劣る活版印刷はまさに真逆であり、年々需要が減っている、衰退していった印刷方法であるといえます。
 しかし、松井印刷では逆に年々、活版印刷の需要が増えていっています。
なぜ、活版印刷の需要が増えているのか?なぜ、松井印刷はいまだに活版印刷を続けるのか?

 活版にこだわる3つの理由
 @やさしさを印刷したい
 Aレトロだから新しい!
 B個性を印刷したい。
 めざましく進歩した印刷技術。でも、プロセスを省く合理化が、モノづくりの心まで省いていたとしたら・・・。そんな疑問から出発して、松井印刷はある答えに到達しました。
 たとえ捨てられる運命でも、捨てにくい印刷物をつくろう。
 省略された技術と共にある「モノづくりの心」。
 それが活版印刷にこだわる理由です。
 実際、広島県内外から、ご注文をいただいております。

 近年、お問い合せが増えてきましたので、
 近々、「広島活版ファクトリー」という活版用ホームページを立ち上げます。

 以上 最後は会社の宣伝になりましたが、今回の新会員卓話を終わらせていただきます。
 今年度の会長方針は「縁を大切に、そして広げよう」ですが、
広島中央ロータリークラブへ入会させていただきました、このご縁を大切にして行きたいと思いますので、どうか今後とも宜しくお願い致します。
 ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 



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